ぼんやりどこかに流されてしまいたい
誰も私を知らない、言葉なんて感情なんてないところに行きたい そうすりゃあ誰も傷付かずに、傷付けずに済む。
いや、自ら命綱を経った方が楽かあ とか
治らない、直らないならもう存在ごと消えて仕舞えばいいよなあ。
死は救済になってしまうから贖罪のために生きて苦しむべきだ、なんていう漠然とした馬鹿げたことを綴っていたが、贖罪だなんだとか自罰だとか自責だとか、偽善者の獣の俺が言っても言葉を消費してるだけだし。
とか、色々な考えが脳みそに流れ込んでくる。
もう一人の自分に人格否定を喰らったり叱責を受けたりしている。
傷付けてきた人たち、追い込んだ人たち、めちゃくちゃにしてきた事、もう、なあ。
人格が、認知が捻じ曲がってるのなんてもうわかったから、俺はただの変に自我を持ってしまった醜い肉塊だから。
死は贖罪に対する逃避行為だけど、もうどうでもいいよなあ。悪人なら悪人のまま、醜い肉塊なら醜い肉塊のまま貫き通して、無様に終わってしまおう。
あの日私を見る大人の目、同級生の目、生暖かい血の温度、殴られた痛み、言葉の痛さ、鋭利な自分、お母さん、お兄ちゃん、しらない、しらない。
「自殺と犯罪は世の中に負けることだから」なんでどこかの本で見たなあ。どうでもいいか。
この文章意味がわからないでしょう。わからないでください。