gomikasuDmw’s blog

夢のこと

自裁

ぼんやりどこかに流されてしまいたい

誰も私を知らない、言葉なんて感情なんてないところに行きたい そうすりゃあ誰も傷付かずに、傷付けずに済む。

 

いや、自ら命綱を経った方が楽かあ とか

治らない、直らないならもう存在ごと消えて仕舞えばいいよなあ。

 

死は救済になってしまうから贖罪のために生きて苦しむべきだ、なんていう漠然とした馬鹿げたことを綴っていたが、贖罪だなんだとか自罰だとか自責だとか、偽善者の獣の俺が言っても言葉を消費してるだけだし。

とか、色々な考えが脳みそに流れ込んでくる。

もう一人の自分に人格否定を喰らったり叱責を受けたりしている。

 

傷付けてきた人たち、追い込んだ人たち、めちゃくちゃにしてきた事、もう、なあ。

人格が、認知が捻じ曲がってるのなんてもうわかったから、俺はただの変に自我を持ってしまった醜い肉塊だから。

死は贖罪に対する逃避行為だけど、もうどうでもいいよなあ。悪人なら悪人のまま、醜い肉塊なら醜い肉塊のまま貫き通して、無様に終わってしまおう。

 

あの日私を見る大人の目、同級生の目、生暖かい血の温度、殴られた痛み、言葉の痛さ、鋭利な自分、お母さん、お兄ちゃん、しらない、しらない。

 

「自殺と犯罪は世の中に負けることだから」なんでどこかの本で見たなあ。どうでもいいか。

 

この文章意味がわからないでしょう。わからないでください。

断片.1

最近、自分の人生を頭の中でずっとビデオ再生されている。

 

小さい頃の私の足に熱湯をかけて、一生消えない傷をつけたお母さん。

 

スナック勤務から帰ってきた時の、お酒と香水の混じった匂いのするお母さんが抱きしめてくれた時の匂い。

 

酔っ払って機嫌が悪くて、ドアのガラスを殴って破ってた時のおかあさんの怖い顔。わすれられない。

 

お酒を飲んでる時に、「明日は遊園地に行こうか、明日はゲームセンターに連れてってあげるよ」と赤らんだ顔で上機嫌に言う時のお母さん。

 

私が熱を出した時に、絵本を読み聞かせしてくれたり、ねむりにつくまで頭を撫でてくれた時のお母さん。だいすきだった。

 

しらない裸のお兄さんがお母さんの隣で眠ってて、こわかった。

その時期はお兄ちゃんに体を弄られていた時期だったから、なんだか気持ち悪かった。

 

お母さんがお兄ちゃんを包丁で刺した後、お母さんは首を吊って、わたしが泣いて縋って止めた。

泣き疲れてキッチンで眠っているお母さんに、小学校3年性で学校も行っていない私の字は拙かったし汚かったけど、「わたしはおかあさんがしんだらかなしい、しなないで」と手紙を書いて、その後にお母さんの手を繋いで眠った。

 

お母さんの癌が見つかったのも、おばあちゃんの焼身自殺を知らされたのもその頃だった。体育座りで泣きじゃくっていたお母さんの光景が今でも頭から離れない。

 

お母さんの病院に着いて行った日、カルテに「うつ病」「摂食障害」と書かれていたのが今でもわすれられない。

 

私の首を絞めていた時の悲しそうなお母さんの顔。ころしてくれてよかったのに。なんでそんな顔してたの。ごめんなさい。

 

包丁を向けて「お前なんか産まなきゃよかった」って言われた日 私もできたら産まれたくなかったなあ。

ベランダで寝た日も、寒かったしさみしかったなあ。隣のベランダから電気がついてて、その光景を強く覚えている。

生理が来てるのを知ってながら、お兄ちゃんに腹を踏みつけられたことがあって、その時に心底自分が女性であるということが嫌だなあと思った

 

そういえば、うちは生活保護で国から安定したお金をもらってるはずなのに、お母さんがパチンコとタバコでお金を使うからお金がなかった。

だから小学校の数少ない友達にお金を借りに行かせられたり、ゲームソフトを借りて来させられてそれを売ってお金にしてた。

そんなことをしてたら友達は居なくなったしいじめもひどくなった。

食べるものがなくて2〜3日食べるものがないなんて当たり前だった。道端に落ちてるものを食べたりしたこともあった。むなしかった。

 

中学一年生の夏、2016年の8月くらい。

お母さんとお兄ちゃんからの暴力と暴言がだんだんひどくなって児童相談所に逃げた日。苦しかったなあ。

 

児童相談所の先生から「自宅には帰せない、とお母さんに言ったらすごく泣いてたよ」と告げられた。私はあの時どんな顔をしてたんだろう。

娘の面会ってどんな気持ちだったんだろう。悲しかったかな、虚しかったのかな、申し訳ないって思ってたのかな。ごめんなさい。

 

里親さんの家に私は行くことになったけど、人格否定と宗教行事の強制でずっとずっと苦しかった。私はどこにも居場所がないんだなあとぼんやり思った。

嘔吐をしたり、体調を崩したら叱責を受けた。しんどかった。

二階で眠っている時に、一階から私を否定する言葉が毎日聞こえてきて眠れなかった。この頃から睡眠障害の兆候はあったんだとおもう。